昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第36回 牛の仕事

漫画等で農村地帯が描かれる場合、軽トラックが道を走っていて、野原で牛がモーッと唸っている情景がよくあります。ここでいう牛は白黒模様のホルスタインを想像する人が多いと思います。誰もが一目で牛だと理解できるおなじみのものです。これは乳を絞るた…

第35回 菜種油の業者

天ぷらは日本の代表的料理のひとつといわれています。スーパーの惣菜コーナーにひしめき、調理する専用の鍋や粉まで販売されている現在では、あるのが当たり前のようになっている食べ物です。テレビ放送などでは、芸能人が下町の店舗で気軽に買って、その場…

第34回 昔の給食は美味しくなかったのだろうか?

小学校へ入学すると、幼稚園時代のお弁当箱に別れを告げて、給食になったわけですが、1960年代後半はまだ料理らしいメニューは未完成の感がありました。 御飯は出た事がありません。政府間の取り決めでアメリカ産小麦粉を消費しなければならない事情があった…

第33回 トットちゃんの机

わたしが一年生当時の教室の原風景として思い出すのは、机にトランクのような蓋が付いていたことです。黒柳徹子さんの自伝小説で知られる窓際の トットちゃんが、小学校を退学になるきっかけになったものと同じです。彼女は喜んで蓋の開け閉めを繰り返してい…

第32回 小学一年生の行動範囲

前回話しましたように、集団登校によって、自分が字に属することを意識するようになったわけですが、登校してしまえば学年ごとに分かれてしまうので、同級生の集団に入ります。当然あちこちの字の子が教室にいました。 字は十五ほどあり、1クラス三十人程度…

第31回 大字と小字の世界

家を新築して年が明けた春に、わたしは地元A地区の小学校へ入学しました。通学は同じ字の子供たちがみんなで揃って行く集団登校でした。それまでは、親が行き来してる家の子だけが顔見知りだったのですが、集団登校によって、字という単位での人間関係が始…

第30回 お井戸さまは何を思うのか

幼稚園の二年目に新築した家に引越したわけですが、もといた二軒長屋の敷地内であり、すぐ裏地なので、暮らす部屋が違った程度の印象でした。当初の事ですぐに思い当たるのは、ウルトラマンは新居で見たかなというかんじです。ちょうどウルトラQからウルト…

第29回 記憶の検証

第一回で出てきたSP盤です。左側のほうが普通だと思いますが、右側のように大きいサイズもあります。 直径を計ってみたら、左が24.8センチ、右が29.6センチでした。 わたしは六歳まで二件長屋に住んでました。隣の部屋から誰かが出てきた覚えがありました。…

第28回 二軒長屋

祖父の遺品。謄写版の紙だと思う。 わたしが六歳まで暮らしていたのは二軒長屋でした。ここは母の生家でもありました。かつてはこの付近には二軒長屋の棟が立ち並んでいたということです。 戦後になるまで、内務省の職員だった祖父の事務所がすぐ近くにあっ…

第27回 魔法では家を造れません

ビートルズが来日した1966年の12月から、魔法使いサリーの放送が始まりました。 その頃ちょうど両親が家を新築したのですが、サリーちゃんがオープニングでするように、木の切り株から家を造ってしまうわけにはいきませんでした。魔法が使えないので近所の大…

第26回 一家『いっけ』は続く

『一家』と書いて、普通は、『いっか』と読みます。 清水一家の次郎長親分、というかんじですね。 父、母、兄がいて、自分がいる、一家団欒、というかんじですね。 しかし例えば、『山本家』は『やまもとか』ではなく、『やまもとけ』と読みます。 親族に関…

第25回 電気のない世界で生きる場合

携帯電話でブログに投稿できる事を先日知った。パソコンが突然壊れたり、外出先から帰れなくなったり、有効なときがあると思うので、この機能は設定しておこう。災害の際にもブログが役にたつかもしれないので、急遽検証してみることにした。 今わたしは自宅…

第24回 食べ物にはどれだけの真実が必要か

幼稚園の同級生の家が市街で魚屋を営んでいて、車でわが家のすぐそばまで売りにきていたので、母が買いにいくとわたしも見に行ってました。 はっきり覚えていて、頻繁に食べていたのは、白子です。この魚屋さんで買っていました。白子汁にして食べてました。…

第23回 墓番という慣習

祖父が亡くなったとき、真っ先に問題になったのは、どこに埋葬するかということでした。祖父は紀伊半島出身だったので、あちらに埋葬するのは遠くて無理だから、近場でなんとかするしかありませんでした。 幸いにして懇意にしていた方が地元のお寺に近しい家…

第22回 どこまでホントか民間療法

母が子供の頃は、焼けどをしたときは、農家でムカデの油をもらってきて、それで治したのだそうです。ムカデを絞って油を出すのではありません。ムカデを油の入った容器に入れて殺すのだそうで、ムカデはそのまま入れたままで、その油が効いたということです…

第21回 小学生のシェイクスピア

三月は卒業式の季節ですが、戦時中はどんな感じだったのか、地元は母親の実家なので、わたしも通った普通の小学校ですが、年度替わりには、学年ごとにお芝居をやったそうです。 母が小学校二年生の終わりのときは、『裸のキューピット』という歌を歌いながら…

第20回 変わりゆく風景の今昔

今回は映像モードです。まずは、なんの関係もない模様から・・・・。 下の写真が撮られたのは1956年頃である。画面右側に棒状のものが近接して三本立っていて、低い建物らしきものがあるのが分かるだろうか。子供の左手あたりにである。 道路は土である。ま…

第19回 最も古い記憶

わたしの最も古い記憶は、トイレで母親にお尻を拭いてもらったことです。トイレで用を足した後、手を付いて四つん這いになって、お尻をちょこんと持ち上げると、母親が拭いてくれるのです。トイレに入る前から母親に誘導されて、ああして、こうしてと指図さ…

第18回 消えた食べ物

先日ご近所さんと話していたら、「どどめを食べたいんだけど、今でもどこかにあるかな」と訊かれ、どどめって何だっけ?ああ桑の実だっけ、そういえば隣家の畑に桑の木が並んでいたなと思い出しました。 でも現在は桑畑を見かけません。いつのまにか消えてま…

第17回 60年代に影響を与えた音楽

この曲はあの曲に似てるとかいう話がよくありますが、それを言い出すとキリがないし、バッハとモーツァルトの楽譜まで比べないと気がすまなくなるでしょう。 音楽を単一のメロディーとして比較すれば、似ているのは当然目立ちます。だから歌と簡単な伴奏だけ…

第16回 昔の写真の由来を記録する

わが家には終戦間近の家族写真が残っています。祖母と母と母の姉が二人、女ばかりの四人ですが、長女は一歳くらいの子供を抱いています。母が言うには、これは戦地に送るために撮ったそうです。 当時どこの家でもこのような家族写真を撮ったそうです。小学校…

第15回 昔は台所の水をどこへ流した

昔は家庭用の排水をどうしていたのでしょうか。身近すぎて即答しにくい問題だと思います。 ここでは農村部に限って、少々極端に言いますが、庭に流していました。もちろん端っこの方にですが、洗剤とか薬品などをあまり使わなかったので、問題なかったのです…

第14回 はしっこい人の世渡り記録

わたしの三人の伯父は戦時中それぞれの地に出征しました。そのうち二番目の伯父についての話です。 伯父は子供のときから、はしっこくて、或る才を秘めていたようです。 祖父が散財してお金が無くなってしまったとき、食べ物がないので、まだ幼かったわたし…

第13回  戦前の遺跡の残り方

わたしの家のすぐ近くに戦前は駅がありました。母は小学生の頃、東京の親戚へお使いに行くのに、一人で行かされたそうです。電車に乗れば、車掌さんがいるので、心配なかったようです。 隣駅の知り合いの家に遊びに行ったりして、案外身近に電車を使っていた…

第12回 なぜか復活 これ何語ですか

アニメといえば手塚治虫でしょ、と思われるでしょう。もちろんわたしも手塚アニメは目に残像が焼きつくほど見てきました。しかしアニメを見るだけのものではなく、遊び道具と考えてみると、事情が違ってきます。子供が遊ぶのには何が必要でしょうか。それは…

第11回 不安という化け物を感じた日

自転車に乗っている人がいます。いつものことなので彼は自転車で走っているけど倒れることを恐がってません。 ふと店のショーウインドウに、ガラス細工の高価な置物が目に付きました。彼はどうしても欲しくなり、その場で買いました。 それを自転車のカゴに…

第10回 忘れてしまった古い知り合い

わたしが生まれる前からメリーは我が家にいました。父がどこかでもらってきたのだそうです。小さくて茶色い体はわたしと大きさがあまり変わらなかったので、ぜんぜん恐くありませんでした。まだわたしが犬と人間の区別がはっきりつかないときからメリーはい…

第9回  折り紙は異次元への誘いです

わたしが幼稚園の授業で覚えているのは「折り紙」です。鶴を折ったのはもちろんでしたが、他にも鷲(ワシ)を折りました。鷲と言っても、二本足で立っている怪鳥みたいでしたが、なんだか気に入ってました。本物の鷲なんか図鑑でも見たかどうか怪しいのです…

第8回  スクールバスのある幼稚園なんて、かなり昔から普通だった

現在わたしの自宅のすぐ裏に保育園があります。しかしわたしの同級生でここに通った者はいません。当時はまだ開園していませんでした。 わたしの小学校の同級生で保育園出身者は少なかったです。たいていわたしの通っていたところか、スクールバスで送迎する…

第7回  男の子向けのアニメだったけど、女性が素敵でした

わたしが幼稚園に入園した年は、テレビアニメの放送が急激に増えた時期です。おそらく前年に東京五輪が開催された影響でしょう。ほとんどの家にテレビがあるようになり、子供たちは同じ番組を見て育つようになりました。そのため後々まで井戸端会議のように…