昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第33回 トットちゃんの机

 わたしが一年生当時の教室の原風景として思い出すのは、机にトランクのような蓋が付いていたことです。黒柳徹子さんの自伝小説で知られる窓際の トットちゃんが、小学校を退学になるきっかけになったものと同じです。彼女は喜んで蓋の開け閉めを繰り返していたということですが、わたしの学校で使っていたのはあんまりカワイクなくて、黒っぽくて、道具箱みたいでした。

 それに現在の感覚からすると、使いにくいように思えてしまいます。

  蓋を開け、教科書、ノート、筆箱などを外に取り出してから、蓋を閉めてその上に置きます。

 現在の机と違って、ものをそのまま取り出して机上にポンと置くことができないので、手順が面倒くさそうです。

 さらに再び何かを取り出すとしたら、机の上の物はどうするのでしょうか。そのまま蓋を開けたら、すでに出してあったものは落ちてしまいそうです。

 実は机上の板が全部開くのではなく、前のほうはいくらか板を打ち付けてあり、途中から開くようになっていたので、筆箱程度ならそのまま置いておくことができるかんじでしたが、教科書やノートを置くのにはちょっと狭かったと思います。

 ものを気軽に出し入れするのに適した造りではありませんでしたが、当時はなんの不便さも感じなかったんでしょうね。

 こんな事を考えてしまうのは、モノが溢れている生活に慣れきったからだと思いますが、もう一度あの簡素なスタイルに戻ったら、再びあの風景を感じることができるでしょうか。

  わたしの学校ではこの机は二つが繋がっていました。木製であり、結構重いので、教室の掃除で移動させるとき、机を持ち上げずに引きずって、机の脚で床をガーガーと擦ったものです。まだ幼時のいたらなさでしたが、あの音が懐かしいです。 一応二人で持ち上げて運ぶように指導されていたんじゃないかと思いますが、あんまり言うことをきかなかったというか、先生もそんなにうるさくなかったです。

 しかしこの机はいつまでも使っていませんでした。勇退の時期だったのでしょう。大阪万博の三年前のことです。

 母の小学生時代は戦中なのですが、机は蓋付きではなかったそうで、東京の一回り年長のイトコに尋ねますと、彼は戦後ですが、やはり蓋付きの机ではなかったと言います。昔だからすべてが蓋付きの机だったわけではないのでしょう。たまたまうちの小学校ではそうだっただけかもしれません。みなさんもお父さんやお母さんに尋ねてみたらいかがでしょうか。

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つまりこんなかんじです。前の方に板がすこし打ち付けてあるのは、物の置き場所というよりは、制作上の都合というか補強のためでしょうか。大工さんに聞いてみたい。