第34回 昔の給食は美味しくなかったのだろうか?
小学校へ入学すると、幼稚園時代のお弁当箱に別れを告げて、給食になったわけですが、1960年代後半はまだ料理らしいメニューは未完成の感がありました。
御飯は出た事がありません。政府間の取り決めでアメリカ産小麦粉を消費しなければならない事情があったようで、パンとソフト麺を基本としたメニューでなければならなかったということです。
御飯が出ないからなのか、味噌汁、漬物といった伝統的家庭料理は出た事がなかったです。
一応洋食風なメニューを意識して作られていたように思いますが、実際は、洗練されていない創作料理のようなかんじだったでしょうか。
① 牛乳と食パン
わたしのときはもう脱し粉乳ではなかったです。牛乳は紙パックがまだ無い時代だったのでビンでした。食パンには銀紙に四角く包まれたマーガリンを塗りました。マーガリンのヌルッとした、オロナインのような感触に最初は違和感がありました。わたしはマーガリンを食べた事がなかったか、食べなれていなかったのだと思います。でもじきに慣れたようでしたが。
食パン以外のパンは出なかったので、わたしはコッペパンを見たことがありませんでした。でも当時、学童用に配付された本を読んでいると、生活の指針のような記載があり、コッペパンを子供が食べる話があったので、一般的にはコッペパンの通りがよかったのかもしれません。
② トマトソース?とカレー
たぶん現在でも給食の定番になっているものの原型です。ソフト麺を絡めて食べるソースです。ミートソースと言いたいところなんですが、やはりあれはミートソースではなかったなと思います。
玉ねぎの切れ端などが入ってたのは覚えてますが、肉が入ってたようすは記憶にはないです。いくらか目立たない程度には入ってたんじゃないかと思いますが。ケチャップ味の野菜あんかけみたいなかんじでした。
それでもトマトケチャップは洒落た調味料でした。わたしはちょっと馴染めないかんじがありましたけど。
戦後進駐軍の米兵が缶詰入りのトマトケチャップのパスタを常食してるのを見た料理人が、野菜をたくさん入れて改良したのが、日本でいうナポリタンの始まりだそうです。(本場イタリアではケチャップを使わないのでコレは違うと主張してるらしいのですが)。
その流れでソフト麺も開発されて、そういうわけで給食の定番に取り入れられたのは、国家の食料政策みたいなもので、必然だったのでしょう。
ところでいつからソフト麺は細くなったのでしょうか。わたしのときは太くて、うどんそのものでしたけど。
カレーはあんまり印象がないです。甘いとか辛いとかの特長のない味だったと思います。
でも唯一メニューらしいのはこの二つなので、これが洋食風だという所以なのですが。
③ 変な煮物
いろんなものが細切れで入ってる煮物らしきものがよく出ました。人参とか椎茸とか高野豆腐みたいなのとか、肉の切れ端も入ってたと思います。でも味が有るのか無いのか分からないようなもので、それでいてちょっと臭いがあって、わたしは苦手でした。
煮物といえば醤油味がわたしには常識でしたが、これは醤油を使った形跡がなく、他の調味料を使ってるようでもなく、具材の香りが残ってるかんじでした。
醤油を使わないのは洋食に合わせようとしたからかもしれません。現在の時点で食べたら、病院食や健康食のように食べられるかなとも思います。
④ 魚、日本人なら当然かも
イワシのような小さめの魚がまるごと出るようなことはなく、切り身だったので、何の魚か分かりませんでしたけど。まあそもそも知識がないので、どっちにしろ分かりませんが。
泣きたくなるほど、嫌悪感を持つものが出たときがあります。味醂づけの悪くなったような味で、わたしはとうとう食べられませんでした。
わたしの居住区は内陸なので、魚等の場合、輸送の関係の問題があったかもしれません。海の近くの学校では新鮮な魚が食べられたのはないかなと思うのですが、どうなのでしょうか。
鯨のたったあげがよく話題になりますが、わたしはよく覚えてません。出た事はあったかもしれませんが、特別にインパクトのあるものとして記憶には残ってません。硬めの魚が出たような覚えがある程度で、それが鯨だから魚ではないなんて子供は考えなかったと思います。
⑤ ちくわ
もろに個人的な好みの問題なのですが、わたしは大嫌いだったと記憶してます。
海産物の練り物は昔から内陸では貴重だったようです。しかしわたしはあの香りが駄目でした。これは自分には食べられない、天敵のようなものだと拒絶反応が出たらしくて、あの棒状のものを机の中に知らん振りして放り込みました。で、そのまま机内の端っこに、ほったらかしにしておくという、しょうもない子供でした。
それからしばらくして親子参観のおり、母親がわたしの机の中を片付けたときに、 すでに真っ黒に変色したこのちくわが見つかってしまい、ちょっと怒られはしたものの、母親がすみやかに始末したのですが、隣の席の子がこれを目撃していて、後年の後々になっても思い出したように、机の中にちくわが入っていたと言われたものです。衛生上にもよくないし、机さん、ごめんなさいと遅かれしながら言いたいです。
トットちゃんの机は蓋を開けられると中身が露わになってしまうのだ。危険物はモジモジしてないで片付けましょうね。
◆ 美味しくなかったのだろうか?
昔の給食は美味しくなかったという話を聞かれることがあるかと思います。しかしろくな食べ物がなかったから案外美味しかったなんて意見もあります。給食の献立を食べられる店なんてものもあるようですが、タイムスリップして実際に当時のホンモノを食べてみないことにはなんともいえません。
ここでは視点を緩くして、なぜ昔の給食は美味しく感じられなかったのか、ということにして、そういったことを考えてみました。
A 当時の給食は美食ではなかったということです。
まだ大した調味料がなかったし、香りの良いスパイスやハーブなど入手できなかったでしょうから、当然でしょう。肉や魚などの臭みを消す手段がどうだったのか、よく分かりません。
物が豊富になってからは、あまりにも懲りすぎてかえって不味くなったという場合があるようですが、当時は凝るも何も、材料がなかったのですから。
つまり美食でないから美味しく感じられなかったということになってしまいますが。しかし当時の子供が(大人もですが)美食なんて分かったのかなんて突っ込まれると、困るのですが。
B 家庭で食べる味と違うからということです。
給食は栄養になるものを児童に提供するのが最優先課題だったと思います。牛乳を飲んで、パンとソフト麺を食べて、肉まじりの煮物と魚を食べれば栄養がとれるだろうという感じだったでしょう。たしかにそうなんですが、当時の家庭はそんなに栄養を考えた食生活をしていなくて、家庭料理は単純なものでした。
農村地帯は自給自足の生活が基盤にあったので、白菜の漬物を山ほど食べるとか、里芋だけで腹いっぱいになるとか、そんなかんじでした。
醤油かけ御飯が大好物といった同級生もいました。なかにはマヨネーズで御飯を食べる当時としては変わり者もいましたが、ふつうは味噌か醤油の味で食べられるものを食べるので、田舎煮のようなものがデフォルトです。
給食の味とはかなりの隔たりがあったと思います。ゆえに違和感があったかもしれません。当時の給食は栄養源ではありましたが、伝統的な家庭の味とは違う方向を向いていました。家庭の味はまだ保守的でした。
C 食に国民的な統一性がなかったということです。
現在は豚肉を常食するのは普通ですが、1960年代はそうでもなかったと思います。農家は自給自足の生活基盤があるので、わざわざ豚肉を買わなくても食べるものはありました。都市部では常食する傾向があったかもしれませんが。つまり誰もが豚肉を食べなれていたとは限らない。
で昔の豚肉は与える餌によっては、臭かった可能性があります。だから給食で豚肉を使った調理をすれば臭かった場合があるのではないかと。そういったことは配慮されてなかったと思うのです。
カレーに入れてしまえば分からないといわれそうですが、でもカレー自体、そもそも子供がみんな喜んで食べたかというのは疑問です。カールのカレー味とかカレーパンが広まる以前は、さほど馴染みのあるものではなかったと思います。
魚類にしても、内陸では川魚のほうが親しみがあり、海のものは苦手という人もいました。友達宅では投網でフナなどを捕って、甘露煮にしてましたから。それもまた自給自足なんですが。(反対にわたしの父は海育ちだったからなのか川魚が嫌いでした)。
◆ しかし給食を食べたおかげて栄養のバランスがとれた面はあるかと思います。そもそも子供には食べにくいものがあり、家庭でも人参を食べないなんてこともあるので、給食だけをあげつらうわけにもいきません。(昔のままの人参をときどき近所の農家で貰うのですが、現在の改良された品種と違って、香りがすごく強く、子供にはキツイかなと思う)。
70年代に入り、わたしが六年生くらいになると、給食が革新的になってきて、プリンとか出たことがあったのですが、特に感動はありませんでした。その頃はもう巷に嗜好品の類が溢れるのが普通の世になってましたから。でもちょっとは驚きました。時代が変わった、と子供ながらに意識したような気がします。