昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第12回 なぜか復活 これ何語ですか

 アニメといえば手塚治虫でしょ、と思われるでしょう。もちろんわたしも手塚アニメは目に残像が焼きつくほど見てきました。しかしアニメを見るだけのものではなく、遊び道具と考えてみると、事情が違ってきます。子供が遊ぶのには何が必要でしょうか。それはモノマネできることです。

 当時本当に子供たちが夢中になったのは(一部の大人もかもですが)、モノマネできたものです。作品が大袈裟に崇高でなくてもいいわけです。芸人さんが決め台詞や決めポーズをとるのをマネするように、それで子供は喜んでいたわけです。

 そのもっとも分かりやすい例が、この年(1966年)放送されました。

 まず、おそまつくんに登場したイヤミの、「シェー!」です。

 (シェー!というのは、イヤミというフランスかぶれのキザな男が、驚いたときのポースと発する声です) 

  いま思い出すと全然リアリティーがありませんが、あれをするだけで、とりあえずはコミニュケーションがとれました。ああいうことを今の世の中でうっかりやると、一人だけ浮いてしまうのではないかと危惧しますが、当時はそういう心配はぜんぜん無くて、とにかく「シェー」とやれば話が通じるかんじでした。一部の大人もやってたんではないですかね。

 フランスというと現在は美術系芸術の卸問屋でございって感じですが、当時は思想の最先端として学生には多大な影響力を持っていて、わたしよりも年配の人と、この手の話をすると、慎重な口調になる方もいます。

 当時は学生運動が吹き荒れた時代であったわけですが、家業を継いで朝から晩まで客の相手をするのに追われる人も当然いたわけです。大学生のなかには実家が商売をやっていて、どちらの生き方を選ぶかで苦悩した人もいたようです。

 イヤミがフランスかぶれだったというのは、幼稚園児のわたしには、ただのキザ男でしかありませんでしたが、当時の成人にとっては風刺の意味があったかもしれません。

 それから実写になりますが、怪獣ブースカです。こちらは完全に子供向けでした。なぜが復活してしまいましたが、ブースカ語がアクション付きだったことを皆さん御存知でしょうね?芸人さんが決めポーズをしながら決め台詞を言うのと同じですから、モノマネにはうってつけです。

 ブースカ語は造語です。それもよく考えられていて、赤ちゃん言葉みたいで、実感的に分かりやすかったんですね。

 でも、「バラサ」はルーツがよく分からない。で、わたしはちょっと考えてみました。

 ブースカの放送開始の少し前に発売されてヒットした、「バラが咲いた」という歌がルーツではないかと思うのです。当時の日本は全体的には、すでに明るい未来へ足を踏み入れていたと思います。この歌はそれをよく表していたのではないでしょうか。

 ところでブースカはとてもよいお話でした。