昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第19回 最も古い記憶

 わたしの最も古い記憶は、トイレで母親にお尻を拭いてもらったことです。トイレで用を足した後、手を付いて四つん這いになって、お尻をちょこんと持ち上げると、母親が拭いてくれるのです。トイレに入る前から母親に誘導されて、ああして、こうしてと指図されて、何も考えずに言われるがままにするのです。

 恥ずかしさは全然ありませんでした。おそらくヨチヨチ歩きの頃だろうから、そんな感情はなさそうです。あのとき自分がどのように感じていたのかを思い出そうとしても、さっぱりわかりません。

 映像は見えます。家の北側に東西に沿って廊下があり、その向こうのドアを開けてトイレに入って・・・・。しかしどうしても、感情が思い出せないのです。まだ二本足で立てないときの写真を見ると、ちゃんと笑っています。だから感情のない幼児だったわけではなさそうです。あのときトイレに入った自分を思い出すたびに、心のなかに、「ここまで」という見えない幕があるような感じです。

 それと、なんとなくですが、自分が犬と同じような感覚でいたように思ってしまいます。犬になったことがないので、思い込みではありますが、感情がなかったのではなく、今ではもう分からなくなってしまった感情があったといったところでしょうか。

 

 昔の女の子は赤ん坊のいる近所の家に、おんぶさせてもらいに行ったそうで、そういうことが割りと普通の事で、複数の女の子が集まると、赤ん坊の取り合いになったということです。赤ん坊が可愛くてめずらしいので、みんなおんぶしたがったのだそうです。

 母も六歳の頃(昭和13年くらい)、赤ん坊をおんぶしたくて行ったそうなのですが、六歳の子供ではおんぶは無理だと言われたようで、すると母は、「おんぶがしたい」と駄々をこね、そこにいた大人が、おんぶさせてやんなよ、ちょっとぐらい大丈夫だよ、と口添えしてくれたということです。しかし結局母は赤ん坊が重くて、おんぶが上手くできなくて、座り込んでしまったということです。

 昔は赤ん坊をおんぶするというのは、ワンちゃんを抱くみたいな感覚だったのではないでしょうか。座敷犬なんてものは考えも及ばなかった時代なので、赤ん坊をペットに近い感覚で捉えていたような気がします。そんなふうに母に聞いてみたら、「だって他に娯楽なんてなかったんだからね」と言ってました。

 昔は赤ん坊を子犬なみに扱った、というと酷いことを言ってるように聞こえるかもしれませんが、現在はペットを家族としてみなすのが普通の世です。

 人間と犬猫等は違います。しかし家族は人間同士だけとは決まってません。我が家のイチジクの木はわたしが生まれる前からあるので、これはわたしの兄と言えそうです。

 

 先ほどの話で、母が言うには、あのときは手おんぶだった、ということです。背負って太股あたりを手で押さえるだけのものは、「手おんぶ」というようです。現在ふつうに、おんぶと言うのはこれですね。

 昔で言う、おんぶは、おしんが子守をしてるような姿、紐で赤ん坊をくくりつけたり、ねんねこ半纏を上に着たりする、ああいう支度でするのを、おんぶと言ったようです。