昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第11回 不安という化け物を感じた日

 自転車に乗っている人がいます。いつものことなので彼は自転車で走っているけど倒れることを恐がってません。

 ふと店のショーウインドウに、ガラス細工の高価な置物が目に付きました。彼はどうしても欲しくなり、その場で買いました。

 それを自転車のカゴに入れて走り出します。しかし彼はふと思います。もし倒れたら高価なガラスの置物が割れてしまう。

 そのとたん彼は、もし突然パンクしたら、もし障害物にぶつかってしまったら、もし道に穴が開いていてそこへ嵌ってしまったら、はずみで倒れてガラスの置物がメチャクチャになってしまう、と不安に駆られます。

 さて60年代後半には、多くの人が高価なものにもどうにか手が届く時代になり、豊かさを実感できる時代になったわけです。それ以前はある程度恵まれた家庭でないと難しかったので、とりあえず今を生きるだけで精一杯だったと思います。自分もそうなれたらいいなあという感じだったでしょう。

 しかしそれが叶ってしまいました。もうあまり必死にならなくてもよさそうです。余裕が出てきました。さてそうなると、これまでのことはなんだったのでしょうか。これからはどうなのでしょうか。

 必死にならなくても生きていけるのが幸せだ、といえばそれまでですが、余裕ができると人間はいろんなことを考えます。今まで見ないようにしてきたもの、聞こえないようにしてきたこと、そこから不安が侵入してくるわけです。

 実際当時のさまざまなカルチャーに漂っていた空気に、不安のイメージがあります。これがわからないと、この時代の真の姿がわからないと思うのです。

 それをよく現しているのが、この1966年に放送された「ウルトラQ」です。わたしにはこの番組が子供向けに制作されたとはどうしても思えません。子供が見たがる要素は入っていますが、どう考えても幼稚園児が見るには奇怪すぎるものがありました。それでも見てしまうのが子供というものなのですが。

 ゴジラには核批判のような、すでに国民的合意を得たような分かりやすいメッセージがあり、ウルトラQにも部分的にはありますが、全体的に見るとウルトラQの場合は、もっと、実際に人々が感じている何かを模索していたように思えます。作り手側も手探りだったのではないでしょうか。

 とりあえず不安という得たいの知れないものがあるからそういうものを作ってみようという感じだったのではないでしょうか。できあがったものが何をどのように動かすかというような便利な機械みたいにはならないかもしれませんが、多くの人が見て、それが何かのきっかけになれば表現としては真っ当だと思うのです。