昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第9回  折り紙は異次元への誘いです

 わたしが幼稚園の授業で覚えているのは「折り紙」です。鶴を折ったのはもちろんでしたが、他にも鷲(ワシ)を折りました。鷲と言っても、二本足で立っている怪鳥みたいでしたが、なんだか気に入ってました。本物の鷲なんか図鑑でも見たかどうか怪しいのですが、先生が、「これは鷲ですよ」と言えば子供は、そうなんだなと思います。本当に命が吹き込まれているような、それがあると、現実とは別の世界が実際に見えていたと思います。今でもときどきそういう感覚がわきあがるときがあります。

 山岸涼子の漫画で、ひな人形が動いていくというのがありますが、そういう感じでしょか。

 折り紙の本がありまして、いろんな折方が書かれていて、その本を見ているだけで、わたしはその不思議な世界にいられました。

 現在はすごく複雑で高度な折り方があるようですが、あまり真剣に考えずに、折っているときのあの異世界に入るような感覚を覚えることさえできればいいのではないかと思ってしまうのです。一生その感覚は残るでしょうから。

 ほとんど勉強らしい勉強をした覚えがないのですが、ひらがなの書き取りをしたのは覚えてます。あいうえおから順番に碁盤の目のように書いていくアレです。そのとき、「お」の字を普通の「お」として、「を」の字を、重たい「を」として教えられましたが、この表現の仕方は、言いえて妙だと思いませんか。

 たとえば、「おとうさんのかたをたたいてあげた」といえば、「を」の字は下にきますよね。重いから下にくるというわけです。

 三月になると、雛祭りのお遊戯をしました。烏帽子みたいなのを黒い紙で作り、雛人形に扮装するのです。わたしはお内裏様をやりまして、「お内裏様とお雛様~」の音楽が鳴ると、ステージ(というほどのものではありませんが)の端から真ん中へ出て座り、それからみんなと一緒に踊るのです。三月だったので、小学校入学前の儀式のようなものだったのかもしれません。

 冬はなぜか黒いパンストを履いてました。トイレに行くのが大変でした。

 そういえば折り紙で手裏剣を作りましたね。少し難しかったけど。たしか別々に折った二つを組み合わせたと思います。それで投げっこをして遊びました。忍者はヒーローでした。