昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第32回 小学一年生の行動範囲

 前回話しましたように、集団登校によって、自分が字に属することを意識するようになったわけですが、登校してしまえば学年ごとに分かれてしまうので、同級生の集団に入ります。当然あちこちの字の子が教室にいました。

 字は十五ほどあり、1クラス三十人程度なので、均等に考えれば、ひとつの教室に同じ字の子は二人で、同性は自分だけ、ということになります。 男女のペアが15組集まったのと同じです。

  ()×15の字=30人=1クラス

 実際はこんなに都合よく均等にならないので、当然偏りがあり、ひとつの教室に同じ字の子が数人いる場合もありました。

 ですが各字一人、二人しかいない場合も多かったので、全体的にみれば、教室内の生徒たちが字ごとに分かれて固まってしまうようなことはなく、あちこちからの子供たちの集まりになりました。

 

  当時の一教室のクラスメイトを、字ごとに示した地図を作ってみました。かなり簡素化した地図ですが、わたしの住む地区はこんなかんじです。だいたい四、五キロの範囲に広がっています。

 青丸印が男子、赤丸印が女子、白い部分が字です。大字と小字を合わせて正確には十六ありましたが、現在はこのなかの字のひとつが廃止されています。

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 前回話しましたように、小字だから地理的に狭いとは限らず、小字よりも狭いくらいの大字もあります。というか大きめの小字もあるというべきでしょうか。

 例えば地図の左端に丸印がないところが一箇所ありますが(つまりこの教室にこの字の子はいない)、これは大字です。青丸印が五つあるところは(男の子が五人)、小字です。その上方に丸印が一つのところがいくつかありますが、これも小字です。

 

 字の集団登校が子供の近所付き合いとすれば、学校での同級生との生活は、あちこちの字の子と交わる機会でした。ひとつの教室で毎日六時間以上ともに過ごすのですから、家の遠い子との繋がりも強くなります。

 しかし学校の外で、離れた字まで遊びに行くことは、一年生ではほとんどなかったと思います。 字はだいたい一キロ前後の範囲におさまりますが、一年生が一人で行けるのはせいぜい隣の字くらいまでです。

 それ以上歩けないわけではなかったです。学校から家まで二、三キロくらいの道程がある子はざらにいたし、通学時に毎日それだけの距離を歩いているのですから。

 しかし集団登校だから長距離を歩けたのであり、一人で出歩くとなると、一年生では親が心配することもあったでしょうから、近場どまりでした。

 統計によると、人が普段の生活で歩いて行ける範囲は、約一キロであり、年齢の違いはあまり関係ないそうです。(ちなみに自転車は約三キロ)。わたしが一年生のとき1人で歩いた覚えがあるのは七百メートルくらいの範囲でした。

 

 ここは現在すでに廃止になっている字です。迂回しないと辿り着けない場所にあるので、学校までの道のりが四キロほどあります。そのためかマラソンに強い子がいました。

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   そういうわけで低学年の頃は自分の字とその周辺が主な活動範囲であり、上級生と遊ぶことも多かったです。遊ぶといっても、上級生にくっついていき、面倒を見てもらうわけですが、親はそれで安心できたのだと思います。

 字によっては同年齢の子が多人数いる場合もありましたが、教室が別だったり家がすぐ傍でないと、行き来しないこともありました。

 字はあくまでも地域の付き合いなので、学校とは反対に年齢があまり関係なくて、同年齢だから遊ぶとか、年が違うから相手にしないとかいうものではなかったです。

  ただし字が違う上級生と係わる場合には年齢の上下が表面化することがありました。実際にわたしが経験したことです。違う字ですが幼稚園が同じだった一つ年上の上級生がいて、入学後に学校の廊下で顔を合わせたとき気楽に話しかけたら、隣にいた別の上級生に、おまえ生意気だ!みたいなことを言われ凄まれて、驚いたものでした。年齢が接近していたこともあったのでしょう。

 これが普通だったわけではありませんが、字が違えばこういう事は起こりえたと思います。

 低学年のときに他の字へあまり行かないのは、そういう異質な世界のイメージがあることが理由のひとつかもしれません。上級生同士が行き来していれば、年上とも顔見知りになれる機会があるのですが。要するに子供でも顔合わせは必要なのです。

 

 先程の地図ともう一つのクラスの地図をならべてみました。同学年は全部で約六十人で、二クラスでした。

 こうして見比べると、クラス編成の際に多少は字を振り分けているようにも見えます。つまり同じ字の子が一方の教室にできるだけ偏らないようにするということですが、ちょっと微妙でしょうか。

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 中央やや左に、丸印のやけに多い字がありますが、ここは引越してきた子が多かった事情によります。

 現在は人口の流入のあるところと無いところの差がもっと極端になっていて、ちょっと資料を調べてみました。

 最近の調査結果によると、最も世帯数の少ない大字が40世帯前後で、住宅地が出来たようなところでは数百世帯になります。小字単位の集計は、正式な資料がないですが、だいたい似たようなものです。

 2000世帯を超える大字もあり、いくらなんでも差がありすぎると思うかもしれませんが、これには理由があります。そもそも面積に違いがあります。地図では小字のだいたいの境界をわたしが線引きしていますが、正式な地図にはその境界はなく、一つの広い大字です。しかも大規模な高層住宅ができたので、合計するとそのくらいになるわけです。

 人口流入の少ない字を参考にして推察すると、わたしが一年生の頃は100世帯を下るくらいから150世帯くらいの字が多かったと思います。

 

 字のほうが教室よりも絆が強いかとかいうと、ちょっと違います。

 字の人間関係は与えられたものであり、自然物のようなものです。友達関係とは性質が違い、好き嫌いで選り好みできるものではなく、その場の力のようなもので成立しているものです。

 教室の人間関係は自分で選ぶものであり、仲良くなったり離れていったり、自由にできるものですが、友達として付き合うなら、大げさに聞こえるかもしれませんが、相手の性格の問題なども個人の責任で引き受けなければならないものです。

 低学年だと友達付き合いがうまく出来ない場合もあるので、字の上級生に面倒をみてもらって埋め合わせる事ができましたが、それでまた学校へ行って、教室でいろいろな過程を経ているうちに、いつのまにか字とは無関係に友達付き合いをするようになっていたと思います。

 字と教室には役割分担があり、どちらが大事というわけではなく、一方に偏らなかったので、無理な強制や過剰な集団行動はありませんでした。字であっても教室であっても自分のことは自分で決めました。

 下校時は個人の自由でした。前回集団登校は男女別々だったと言いましたが、下校時は家の方向が同じなら男女が一緒に帰ることもありました。1960年代後半に男女が並んで歩いてはいけないという風潮があったわけではありません。今と たいして変わらないです。

 

 ※ 前回説明した理由により、単に字と言う場合は、大字と小字を同じようなものとして扱っています。必要がある場合には、大字小字の言い分けをしています。