昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第31回 大字と小字の世界

 家を新築して年が明けた春に、わたしは地元A地区の小学校へ入学しました。通学は同じ字の子供たちがみんなで揃って行く集団登校でした。それまでは、親が行き来してる家の子だけが顔見知りだったのですが、集団登校によって、字という単位での人間関係が始まったわけです。

 

 幼稚園の通園は各家庭の自由でした。わたしは市街地区の幼稚園へ通っていたのですが、字でまとまって行くことはなかったです。そもそも同じ字で同じ幼稚園へ通う子がいませんでした。

 A地区にはバス停が四箇所あって、あちこちの字から市街地区の幼稚園へ通う子が同じ路線バスに乗るので、通園時に一緒になりましたが、字が違えば家がけっこう離れているので、各自バラバラにきていたかんじでした。幼稚園の近くのバス停で降りると先生が待っていたので、あとは引率されていけばよかったのです。

 これら地元の同園生が最も古い馴染みで、別の幼稚園に通っていた子、保育園出身の子、どちらにも行かなかった子が合わさって小学校の同級生になりました。

 

 庭の桜の木です。花の咲き始めですが、三月末の青空は澄み切ってました。春の夜はベランダで一人花見をします。小学校へ入学したころ植えたものです。

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 小学生になると、集団登校による字の人間関係と、同級生の人間関係の二つができたので、子供ながらに少々ややこしく感じたと思います。

 字の最上級生の一人が黄色い交通の旗を持ち、それが班長の証しでした。

 登校時間より早く集まって、ちょっとした鬼ごっこのようなゲームをしながら、全員が完全に揃ってから登校しました。子供ながら組織だっていたと思います。

 たとえ家が近所でも字が違えば登校は別です。あまりにも子供の数が少ない字の場合は、複数の字が一緒になることもあったようです。

 男女は登校が別々でした。ですから歌にあるような、一年生の男女がお手手つないで一緒に学校へ通うことはないのが普通でした。

 

 字とは何かと考える場合、現在は本来の意味からずれた使われ方をしている事を念頭に置いてください。

 現在住所にある大字というのは、本来の意味でいう字ではありません。大字は昔話でいう村だったところです。昔話の村なので、歩いて畑仕事へ行ける程度の範囲です。

 わたしの居住地は大字A上というところですが、明治初期はA上村と呼ばれていました。周囲には他にも同じような小さな村がいくつもありました。それらが合併してある程度広がりのあるA村になりました。もとあった小さな村々はそれぞれの村名を引き継いだ大字になりました。A村はそれ以上大きな村へなることはなく、やがて隣接した〇市に合併されて、A地区になりました。

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 近所に残っている石碑には、〇〇上村とあり、『上』の文字があるので、大字に呼称変更される前からあった石碑であることが分かる。現在の大字A上のことである。

 

 大字は江戸時代に村だったところを、明治になると行政の都合で、大字と言い換えただけです。ですから本来の意味で字ではありません。現在は呼称が廃止されている地域もあると思いますが、かつて村社会を経た地域であれば、たいていは大字だったはずです。

 

 今度は先ほどと逆に考えてみます。

 わたしは〇県〇市のA地区に住んでいます。A地区は九つの大字に分かれています。詳細な地図を見れば大字の境界が記載されていて、どこまでがどの大字の領域なのかが分かります。

 このうちわたしの住む大字A上だけが七つの小字に分かれています。しかしこれは地図に載っていません。小字の境界の記載はありません。地名そのものが記載されてないのです。地図上で小字という地域は存在しません。

 このため小字の情報だけを頼りに知らない土地へ行くと、目的地がさっぱり分からないことがあります。わたしも隣の地区の小字は分かりません。実際にそこに住んでいる人に尋ねないと、小字の場所は分からないでしょう。でも小字の公民館なら地図に載っているので、だいたいそのあたりだと見当がつきます。

 このように小字は外部の人からみると漠然としたものなのですが、本来の字は小字のことだと言われています。区画整備された現代では結果的に、大字をさらに細かく分けたもののように残っているか、消滅しているかでしょう。

 

 小学校一年生で手紙の書き方を習い、同級生で年賀状を出しあったのですが、住所欄の書き方では、大字A上の子はそれぞれの小字まで書きました。他の子は小字がないので、大字どまりでした。

 《〇市 大字A上 小字a4274》 《〇市 大字B764》というぐあいです。ただし郵便物として小字は必要なく、慣習として書いていたわけです。

 小字が特殊なものだという感覚はありませんでした。大字も小字も同じようなものと認識してました。 

 実際大字と小字はまったく同じ次元のものとして機能してました。

 集団登校ですが、七つの小字はそれぞれ別々に登校してました。他の大字が別々に登校するのと同じです。小字といってもそれぞれの範囲が狭いわけではなく、小さくかたまっているわけではないので、人数の少ない同士で隣接した小字と大字が一緒に登校する場合もあったようです。

 字対抗の球技大会のときも、大字A上として他の大字と競うのではなく、七つの小字すべてが別々に出ました。

 A地区は地図上では九つの大字に分かれてますが、実際は八つの大字と七つの小字が分立しているので、結局は十五の字があります。

 十五の字にはそれぞれ自治会があり公民館があります。地区の運動会のときは十五のテントが校庭の端に並びます。

 地区での会議のときも全ての字の代表が集まります。七つの小字の代表として大字A上が出席するのではありません。

 地区の役目を選出するときも、十五の字からそれぞれ二人ずつというぐあいに決められた人数を選出します。

 大字と小字は対等です。七つの小字だけがまとまって大字A上として、別の大字と対峙することはありません。

 しかし風習になると少々事情が違います。七つの小字は同じ氏神に属します。七月半ばに神社の祭礼があるのですが、それは大字A上だけのものです。この日は小字だけになります。

 神社から二つの獅子を廻すのですが、七つの小字が順番に獅子を受け取り、小字内の家を廻ります。頭にかぶりつき、厄を取ってもらうという、あれですね。

 ひとつの小字が終われば次の小字へと獅子を受け渡します。受け渡し場所には住民が集まります。太鼓を叩きながら受け渡し場所へ行くので、それがだいたいの合図です。

 九月には別の大字で、古い祭礼がおこなわれます。その大字の子供は毎年順繰りで、伝統的ないでたちや巫女さんのなりで参列します。祭りというより儀式に近いものです。その大字の子供だけの慣習です。親戚縁者を招いた結婚式に近いようなものだといいます。

 大字が違うと、もともと別の村だったわけですから、同じ地元だと言い切れない面を、年とともに感じるようになりました。

 しかし長い間隣接してきた地域同士なので、秋には十五の字の住民が、地区の八幡さまに初穂料を納めます。

 

 大字小字という言い方を自分たちではしません。単に、字と言います。実はわたしが子供の頃は字とも言わず、別の言い方をしてました。誤解をまねく呼称なので現在の若い世代は言いませんが、高齢の人は今でも言います。 

 

 実はわたしの属する小字はさらに二つに分かれています。ここまでくると完全に内々の世界でしょうね。