昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第25回 電気のない世界で生きる場合

f:id:phorton:20150415182503j:plain f:id:phorton:20150415182505j:plain

 
 携帯電話でブログに投稿できる事を先日知った。パソコンが突然壊れたり、外出先から帰れなくなったり、有効なときがあると思うので、この機能は設定しておこう。災害の際にもブログが役にたつかもしれないので、急遽検証してみることにした。
 今わたしは自宅から30kmほど離れた場所にいる。
 送信すると、いきなり公開になる。
 その前に、今までのこぼれ話と、お喋りを少々。
 
 ブログを始める前に、どういうふうにやればいいのか検索してみたら、日記ふうのものが良いみたいな意見があったが、日記はノートにつけているので、差し障りがなくて持続性があるものを他に考えてみると、回想録のようなものが浮んだ。ある事情により、古い話を記録しておく必要もあったので、試し書き程度の感覚で始めた。
 一応時系列を追っているので、前後関係等やりにくい面はあるが、実際にあった事なので、何を書けばいいか分からないということはない。順番に書類を整理するかんじである。はっきり書くのを躊躇してしまう内容は、あやふやに書くか、ボツにするかである。
 ブログを多くの人に読んでほしいという感情がわたしにはあまりないようだ。今のところ一日数人訪れる程度で、勘違いでアクセスしてきた人もいるだろう。最初の頃、意図的にキャッチフレーズのようなタイトルを付けたので、検索で引っ掛かるのだと思う。妙な店があるので覗いてみたという扱いで、わたしとしては充分なのだが、覗いた方からすれば無駄足だったかもしれない。
 
 イナゴの調理のしかたを母に聞きました。
イナゴを一晩くらいおき、糞を出させる。
煮てから、干して乾燥させる。
フライパンで炒める。
これで美味しいということです。簡単でした。
 カエルの足も食べたそうです。赤蛙を食べたということですが、わたしは赤蛙を見たことがないです。
 
 冒頭の写真はある種のマニアにとっては、一応遺跡なのだそうです。

 

f:id:phorton:20150726161151j:plain

 18:30頃、自宅から30km離れた場所から、ブログのアドレスへ送信する。
 22時頃帰宅して、サイトにアクセスすると、送信した内容がちゃんと映っている。成功である。892文字すべて入っている。写真はやはり冒頭にきていて、二枚が左右に並んでいる。(48kb 58kb)
 これより記事の修正と追加をおこなう。
 
 とんでもない大災害でなければ、携帯電話(すでにスマホか)の充電くらいはどこかでできるだろうから、いろいろなんとかなりそうだ。多少の通信障害はあっても、メールやブログは可能だろう。そのような事態に対応できるように環境が設計されているのだと思う。地震の緊急速報は頻繁に入ってくる し、もはや携帯さえ使えればどうにかなるのだ。
 充電ができないほどの、つまり通電してる設備が皆無になった、とんでもない大災害の場合、どうだろうか。ましてやそれが一ヶ月も続くとなれば、発電所が壊れたといえる。しかも復旧が困難な状況になったと考える必要がある。夜は真っ暗で、機械がいっさい動かない。
 そんな大災害なんて現実にあるか。その状況だと政府が消滅してる可能性もあるのだ。ドラゴンヘッドの世界である。絵空事ではないか。
 わたしもそう思います。そこまでヒドくなるのは宇宙人が攻めてきたとしか思えません。しかしそういう状況でも生きていける装備を考えておくと、今現在の日常がより生きやすくなるように思えます。あくまでも今現在が楽になるかどうかを問題にしたいです。

f:id:phorton:20150726161300j:plain

 電子機器が一切使えなくなったときどうすればいいか、そういう問題は専門の人たちがいると思うので、ここではわたしが気になるひとつのことだけに触れるに留める。
 現在は携帯機器で音楽を持ち歩くのが普通になってしまったので、いつでもどこでも音楽と一緒にいられる。都市では歩きながらヘッドホンをしてる姿が目立ち、道を尋ねようとして声をかけても気づかない。そういう光景は初代ウォークマンが発売された30年以上前からあったことだが、現在はあまりにも便利になりすぎてしまい、音楽から離れることが困難になっていると思う。
 電気が使えなくなるということは、音楽が聴けなくなるということです。そのとき、たまには音楽から離れることができて頭がすっきりしましたと言えるだろうか。禁断症状のようなものが出てくるとわたしは思う。
 大災害であれば音楽を聴くどころではないかもしれないが、案外人間は適応性のあるものなので、宇宙人の直接攻撃にさらされている状況でない限り、あちこちにみんな屯して、どうすっかー。釣りでもして食うかー。そのうちどうにかなるだろ。などと気楽にしてるように思う。

f:id:phorton:20150726161342j:plain

 音楽が聴けなければ、昔みたいにみんなで歌を歌おう、ということになるかどうかわかりませんが、1960年代はまだそんな感じだったはずです。電気が使えないだけなら、当時に戻ればいいだけの話です。
 歌といえば伴奏のギターです。でもギターは弦が切れると使えなくなる欠点があります。それに結構大きいので持ち運びが面倒です。
 そういうわけで災害のときに持ち出すとよさげな楽器はなにかを考えてみた。
 ウクレレぐらいがいいですね。弦の予備が必要ですが。
 玩具のピアノもいいですね。改造してできるだけ軽量にしておきましょう。
 オカリナならポケットに入るサイズもあるので、大きさとしては理想的です。
 小学生が使う縦笛とハーモニカがもっとも馴染みがあるかもしれません。
 同じく木琴は少し大きいですが、致命的な壊れ方はしません。その気になれば木を伐採して作れます。