昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第20回 変わりゆく風景の今昔

今回は映像モードです。まずは、なんの関係もない模様から・・・・。 

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 下の写真が撮られたのは1956年頃である。画面右側に棒状のものが近接して三本立っていて、低い建物らしきものがあるのが分かるだろうか。子供の左手あたりにである。

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 道路は土である。まだ舗装されていない。

 さて次の写真は全然様子が違う。橋桁のようなものがあり、道も舗装されている。わかりにくいだろうが、左側の手前にいるのがわたしである。これは1963年か64年に撮影された。

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 右側の建物が大きく見えるのは、先ほどの写真よりも建物に近い位置で撮影したか、あるいはやや右側にレンズを向けたからだろう。三本の棒はなく、すでに撤去した後らしいが、短い棒が柵のようにずらっと並んでいるのが分かると思う。

 つまりこの二枚の写真は、年代は違うが同じ場所で撮影されたのである。

 次の写真は、ほとんど変わらない。前の写真と比べてどこが違うかというと、上の天井部分が完全に密閉されていることだ。さてこれは何か?

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 実はこれは首都高速道路なのだ。まだ作ったばかりなので、高速道路の下で平気で家族写真を撮っているなど、はた迷惑に思えるだろうが、よく見れば、右側に焼き芋だかリヤカーだかのごときものもあるし、まだ車があまり走ってなくて、気楽な時代だったようだ。

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  実を言うと、工事してる最中の写真もあるのだが、事情があって公開できなかったのは残念である。

 そこで代わりと言ってはなんだが、ボカシのし過ぎで心霊写真みたいになってしまったが、これが昔のわが家の屋内である。なかなか風情があると思うのだが、いかがなものだろうか。

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 現在はこんな感じ、右側の出っ張りが首都高速道路である。

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反対側からみると、このように首都高が左側になる。当たり前だが。

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 今回は口調まで変わってしまったようです。