昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第1回  蓄音機の針はどんなもの? 釘みたいだよ

 わたしが幼少期の記憶を遡っていくと、丸い円盤が木の箱の上でぐるぐる回っているのが見えてきます。けっこう速い回転です。虫がかすれた声で鳴いているみたいな音が聞こえます。

 SP盤なんですね。戦前からあったレコードです。うっかり落とすと皿みたいに割れちゃうやつで、専門店でないかぎり目にする機会はあまりないでしょう。

 木の箱はもちろん蓄音機です。ラッパが付いてるのを映画などで見たことがあると思いますが、うちにあったのはホントにただの木の箱で、蓋を閉めると道具箱みたいでした。小さな引き出しが付いていて、2cmくらいの短い釘みたいなものがいっぱい入っていて、それをヤスリで磨いていた幼稚園児がわたしでした。(釘というか、手芸用の目打ちというか、です)。

 恐ろしいことにそれがレコード針だった。あんなものを当てるのだからSP盤の溝がどんどん削れてしまいそうですが、まあたしかに削れてしまうでしょうけど、SP盤はカチカチに硬いので、案外平気だったようです。針も使っているうちに先端が丸くなってくるので、ヤスリで磨いて先端を尖がらせる必要があったのだと記憶しています。

 このSP盤と蓄音機が、LP盤とレコードプレーヤーに移行するわけですが、盤に針を当てて音を出す仕組みは変わらないので、構造的には同じです。LP盤とCDのような違いはありません。しかし決定的に違うところがあるのですよ。なんだと思いますか。

 SP盤は割れちゃうけど、LP盤は塩化ビニール製だから割れない。

 蓄音機は釘みたいな針だけど、レコードプレーヤーはダイヤモンド針だから盤があまり削れない。

 SP盤は5分くらいしか収録できないが、LP盤は20分ほど収録できる。(どちらも片面だけで)

 まあこんな違いはあるのですが、決定的というほどのものではないでしょう。LP盤だって強引に曲げれば割れてしまいますからね。

 蓄音機は電気を使わない、これですね。なんとエコでしょうか。この点に関してはLP以降CDまで含めて全然違うのです。

  箱にはハンドルがついていて(たぶん取り外しができたと思う)、それをぐるぐる回して動力源にしてました。オルゴールと同じです。曲を取り替えて聴ける巨大なオルゴール、体感的にもそうでした。つまり家電ではなかったのです。もちろんアンプはありませんから、音は箱の振動で響かせます。あまり迫力はありません。でもレコードがこすれて鳴っているんだなというのがよくわかり、音が体に直接伝わってくるような自然な感触がありました。

 電気を使わずに音楽を(メディアで)聴けたというのは、現在からみれば、よく分からない世界になってしまったかもしれません。

 でも昔はさほど電気に頼っていない社会だったのです。

  わたしが幼稚園児だった1960年代なかば、洗濯機と冷蔵庫はすでに市販されていましたが、わたしの母は、たらいと洗濯板(今でもあるんでしょうかね?)で洗っていたし、行商が廻ってきていたので魚とかを貯蔵しなくてもすんだのです。冬の暖房は火鉢でした。風呂は薪で沸かしていました。

 今思い出すと、なんだか別世界の出来事だったような感じで、あれが昭和の原風景だったのでしょう。幼少期のわずかな間までのことなので、すべりこみどうにか体験できたかんじです。

 そんな生活だったので、電気を使わない蓄音機は(実はすでに時代遅れになっていましたが)、当時の生活風景にはまだよく合っていたようにわたしは思います。

 ところがです。ある日突然、蓄音機の隣に、赤い蓋があり流線型のデザインが施された物体が出現しました。本体は綺麗なクリーム色で、もちろん木ではありません。人工的なニオイがぷんぷんしました。地味なわが家の中では非常に不釣合いな外見で、宇宙船が着陸したみたいな違和感を感じたものです。まあ最初だけでしたが。

 それがレコードプレーヤーだったのですね。なぜそれが出現したのか(まあ親が買ったんですけどね)、考えてみると、単純に世の中も個人も豊かになったからというのが妥当な理由なのですが、直接のきっかけは、わたしが、「ウルトラQ」という特撮テレビ番組のレコードを買ってもらったからではないかと思い至るのです。

 家電は家になかったみたいなことを先に書きましたが、テレビはありました。一般的にもすでにテレビは普及していて、二年前に開催された東京五輪を見たいがために、お父さんたちが頑張ってテレビを購入したということのようです。 それにテレビは、洗濯機がなければたらいで洗えばいいのよ、というわけにはいきませんよね。代替が利かないのだから。テレビさえあれば、へたをすると一生見られないかもしれない銀幕のスターを自宅で見られるのですから、家電のなかでも優先順位が高かったと思います。実際わが家はそうでした。わが家は案外早くて、美智子様御成婚のときにテレビを買ったようですが、他の家電が家にあった記憶はありません。

 「ウルトラQ」というのは、ウルトラマンの先祖?みたいな番組ですが、ウルトラマンのようなカッコいいヒーローは出てきません。新聞記者が不可思議な事件を追いかけるミステリアスなSF?でした。いま思えば、けったいな番組で、怪獣から幽霊、浦島太郎みたいな話までなんでもありで、当時は特に男の子には人気がありました。

 この番組をテレビ放送とは別に、短いショートストーリーを作って、五分くらいに収めたレコード(もちろん映像はありません)が発売されていました。当時はこういうのがけっこう あって、値段も子供むけに安価だったと思います。わたしはこれを幼稚園に持って行き、教室で先生にかけてもらって、園児みんなで聞いた覚えがあります。

  さてこのレコードなのですが、「ソノシート」といって、ビニール製で、ほんとに薄いビニールで、手で持って振ればひらひらする程度のものでした。こんなものに蓄音機の釘のような針を乗せたら、一発で穴が開いてしまいます。そういうわけで親がレコードプレーヤーを買ってくれたのではないかと推測できるのです。もちろんLP盤も駄目です。溝が完全に削れてしまいます。でも逆はありで、SP盤をレコードプレーヤーで聴くことはできました。当時のレコードプレーヤーにはSP盤専用の78回転が当然のように装備されていて(LP盤は33回転です)、カートリッジにもSPとLPの切り替えがありました。SP盤は見捨てられなくてよかったね、って感じです。

 しかしわが家の蓄音機はこれでとうとう隠居することになったのでした。世間的にはとっくに引退しているはずの身だったのだから、大往生というところでしょうか。

 そして時代の波は物凄い速さで進み始めまして、フォークソンググループサウンズが雨後のタケノコのようにはびこりだすのはこのころからだと思います。幼 少のわたしにはまったくわかりませんでしたが、この1966年はビートルズが来日した年で、十歳年上のイトコは実際に会場でコンサートを見たそうで、「みんな静かに聴いてたわよ」と言ってました。