昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第6回  土葬から火葬へ。土から「かろうと」へ

 わたしの祖父が亡くなったのは昭和32年で、土葬だったといいます。当時はまだ完全に火葬が定着していたわけではなかったようです。

 現在では「かろうと」と呼ばれる石室があるのが普通ですが、昔は土の上に石碑があるだけでした。檀家であるわたしの家の寺では、今でもそういう墓を見かけます。

 穴を掘って、棺桶のまま埋めるといえば、ふーん、そうだったのかと簡単に聞こえそうですが、具体的に考えてみると、あれ?と思いませんか。

 まず現在は棺桶といえば横型(ふつうに寝かせるやつ)ですが、あれを墓に埋めるとなると、サイズ的にかなり広くないと無理ですよね。それに葬式が立て続けに起こることだってあるでしょうから、あの大きさでどんどん土葬をしていたら、三つも四つも(以下略)していたら、おおげさに言えば古墳(小規模ですが)みたいになってしまうでしょう。

 だから、というわけではないかもしれませんが、土葬は縦型の棺桶が一般的でした。土葬に使った棺桶は、簡単に言えば、樽と同じです。人間を体育座りするように入れました。それと横型の棺桶は高価だったようです。殿様サイズだったんですかね。

 もう一つの、あれ?ですが、棺桶のまま埋めると、そのうち棺桶の蓋が腐って、棺桶の内部の空間に土が落ちますから、地表を平らにしておくと、凹んでしまいますよね。だからあまり深く掘らずに埋葬して、地表を山のように盛り上げておくわけです。そうすれば、だんだん土が下がってきて、しまいにはちょうど平らになるというわけです。ちゃんと合理的に埋葬を行っていたんですね。

 わたしの母は、形式的には嫁にいった身ですが、実際は実家に住んだまま両親の面倒をみていたので、実質的には婿取りと同じでした。でも墓はあくまでも別で、わたしが小学生の頃はすでに自分の墓を買ってありました。お寺のほうでいくつか分譲住宅みたいにした一つを買ったのですが、すべて1メートル四方よりいくらか大きいくらいのサイズです。そのころはすでに火葬が定着していたから、小さい墓に分けても問題なくなったのだと思います。つまり大きい墓は必要なくなったのです。骨壷は樽よりも小さいんですから。

 最近お寺で売り出した墓はもっと小さいサイズです。どこまで小さくなるのでしょうか。 

 火葬場で焼いてから遺骨を骨壷に入れるようになったわけですが、骨壷がどんどん増えて石室がいっぱいになったらどうするのかということですが、古い順から骨壷から出して石室の中に撒いてしまってよいそうです。石室の底には穴が開いているので、遺骨が溶けても下に流れ出てしまうから平気なのです。最後は土に帰るのですね。

 わたしの母は兄の遺骨を骨壷から出して、洗ったことがあります。

 ちょっと特殊な理由があってのことですが、わたしは石室に収めてあった骨壷を出して、蓋を開けて、中の骨を見たことがありますが、なんていうか、中華料理のザーサイみたいでした。

      まとまりがなくて、すみませんでした。