昭和からの記憶の旅

わたしが実際に生まれ育った昭和。冬は火鉢が当たり前。子供たちはどんな遊びをしていたのか。アイスクリームが十円だった時代から現在までを振り返ります

第36回 牛の仕事

 漫画等で農村地帯が描かれる場合、軽トラックが道を走っていて、野原で牛がモーッと唸っている情景がよくあります。ここでいう牛は白黒模様のホルスタインを想像する人が多いと思います。誰もが一目で牛だと理解できるおなじみのものです。これは乳を絞るための、つまりわたしたちに牛乳を飲ませてくれる乳牛(ちちうし)です。

 あまりにも分かり易いデザインなので、このパンダの遠縁みたいなホルスタイン牛がのし歩くのが昭和の原風景のように錯覚しそうになりますが、昔から大量にホルスタインがのし歩いていたら、農家では早くから牛乳を飲んでいて、学校給食でも脱脂粉乳を飲まずに済んだかもしれません。

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 英国ロック好きの人には、牛というとピンクフロイドのアルバムジャケットを思い出すかもしれません。Atom-heart-mother→原子心母、すごい邦訳ですね。そのまんまです。むかしは洋楽に牛は変だと感じましたが、でもホルスタインは西洋種だから当然のことでした。古き日本とは違うのでした。

 

 高度経済成長期以前の農村地帯ではホルスタインは一般的ではありませんでした。わたしの住む地域では赤茶色の牛が普通だったようで、これを俗に赤牛とよんでました。(東北由来の系統だと思いますが、この記事では赤牛と呼称します。他の地方にも別種で同じ呼称があるとは思います)。

  赤牛は乳を搾るためのものではなくて、農作業に使うための牛でした。高度経済成長期以前は軽トラックも耕運機もなかったので、原動力として赤牛を使うのが農家の関心事だったわけです。荷車を牽引させて物を運ばせたり、耕作させたりと、牛は力仕事の担い手でした。

 この時代まで盛んに牛の売買を手がけていたのが馬喰(ばくろう)といわれる人たちです。

 馬喰は古い時代には馬の鑑定人のような意味合いだったということですが、江戸時代あたりから仲買人のことを言いあらわすようになり、昭和にかけてその呼称が通じていました。

  由来は馬にかかわる者だった馬喰ですが、実際は牛も手がけていました。東北や北海道などの雪国では馬を農耕に使っていたようですが、わたしの住む関東では牛を使うのが一般的だったので、馬喰というと農家に牛を売る人という印象が強くて、馬にはあまり関係ない印象がありました。

 しかし庭に馬頭観音の石碑を置いたり、部屋に立派な馬具を飾ったりして、実情はどうあれ馬喰が馬をステータスにしていたことはたしかです。

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 もう半世紀近く前になりますが、家族で東北へ行ったときの写真です。このとき初めて馬に乗りました。右側にわたしの足が写ってます。こちらでは馬が身近なんだなと感じました。

 

 馬喰は貧しい人のついた仕事のように誤解される場合があるようですが、わたしの知る限りまったく逆です。馬喰は元々商人の家系や地域の顔利きです。つまり実力者です。

 農家にとって牛は高い買い物であり、それに大金を払っても満足できる牛が手に入るとも限りませんでした。それでも農作業に使うための牛を、馬喰を介して買っていました。

  しかし馬喰は商人です。牛をプレゼントするわけではありません。一般的に馬喰は自分で牛を育てるわけではなく、畜産家の育てた牛を農家に売って利益を得ます。商売ですから当然そこで値は上がりますが、鋤や鍬や鎌と違って、牛のような大物ではもともと値は高いのですから、安い牛を見つけてきたと言われても、高い買い物であることには変わりません。

 馬喰は牧場を経営してるわけではないので、農家が直接牛を品定めして、これを売ってくれというものではありません。実際に農家の手に入った牛が想像していたようなものだとは限らないわけで、工場で機械的に製造した均一な物と違って、生き物なので、勢いや健康状態などは、実際に手に入れてみないとわかりません。このため馬喰は獣医との関係を持つ場合もありました。

 馬喰は牛を育成する仕事ではありませんが、ぜんぜん育てないというわけでもなく、小牛を安く買ってきて、自分の家ですこし大きくしてから売る馬喰もあり、ボランティアではないので、そこでまた値を上げることはありました。

 場合によって馬喰はかなりの遠地まで牛の売買の交渉にいきますが、自動車がなかった時代は牛車(うしぐるま)で東北地方等へ行きまし た。このようなことは普通の農家にはできませんでした。牛を買うには馬喰に頼る必要があり、ですからどうしても馬喰の立場は強くて、農家には弱みがありま した。

 馬喰はあまり良い印象で語られないことがあります。一般的に商人は負の部分を強調されやすいですが、馬喰の場合は農家の仕事に直接影響があったことが、商店などとは違うところでしょう。

 いったん売った牛を別の小さな牛に交換したりすることもあり、そういった場合でも農家は応じました。その後の事があるからです。また牛が必要になったときは、再び馬喰に頼まなければなりません。馬喰は農家にそれだけの影響力と地位のようなものがありました。

  しかし戦前は農家がどこも牛を使っていたわけではなく、手作業でしていた家も多かったようです。かつて世界的にも有名になった朝の連続ドラマで、主人公の女性が嫁ぎ先で手作業で耕作していたとき腕を怪我して、二度と髪結いの仕事ができなくなった場面がありましたが、実際昔の農作業は大変で、あまりにも働かせる村には嫁にやるな、などと言われていたようです。

 戦後農地改革で田畑を所有できるようになった農家は、田畑を増やすことに価値観があったことがあり、手作業ではやりきれなくなったところもあるので、牛を使う農家も増えたのではないかと思います。

 実際馬喰は地域の名士であったりします。工業化がすみずみまで行き渡った現在からみれば、馬喰は農産業者の一部のようにくくられてしまうかもしれませんが、馬喰はあくまでも商人です。しかも単なる商人ではない畏怖のようなものがありました。馬喰という呼称は現代的な職業名ではありませんが、この言葉の持つ風格のような響きがかつては通じていました。

  しかし高度経済成長期に入って工業化が進み、農家が耕運機や軽トラックを使うようになると、赤牛を飼う必要はなくなり、馬喰の影響力のあった時代は終わります。そのままたんに家畜の売り買いをする家業として続けていく家もあったのでしょうが、馬喰と呼ばれた勢いは止まり、その存在理由は薄れました。この呼称は正式な職名ではないので、昭和まで名を轟かせた馬喰はこの時代が最後といえるかもしれません。現在ではかつて通していた意味やニュアンスはほとんど忘却されてしまったようです。

 こうして赤牛は農家にいなくなり、白黒のホルスタインが主流になります。トラクターや軽トラを手に入れた農家は牛の労働力を必要としなくなったのですが、今度は乳を絞るために牛を飼う農家が出てきました。

 近所でその場で絞った乳を売ってもらうと、家で鍋で煮立てて殺菌してから飲んだということです。

 近所に収乳所と呼ばれる場所があり、乳牛を入れる大きな缶が置いてあって、そこにホルスタインを飼う農家の乳牛が集められていました。給食の牛乳もそこから出たのかなと思います。

  当時はまだ道端に牛の糞が落ちているのが日常的て、野原や土手で遊べば牛の糞を踏んづけたりしたので、多くの農家がホルスタインを飼っていた印象がありま したが、しかし実際ホルスタインを飼う農家はさほどではなかったようで、母に尋ねると、あそこの家とあそこの家と、というかんじで、数えられるほどでした。広大な地域でない限り、ふつうの農村地帯では、そんなものだったと思います。兼業農家が増えて、実際の収入は外で働きに出て得るのが現実になってました。一般的な農家にとっては、赤牛であれホルスタインであれ必要な時代ではなくなっていきました。

 

 現在うちの地区では牛を見かけませんが、いろいろ探してみると、いるところにはいるようで、これもすでに十年前の撮影なんですが、小屋の近くの草原で、牛たちがのんきそうに食事してました。

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 ずっと見ていたら、なぜか夕方になると、誰もいないのに自分たちだけで小屋へ帰っていきました。どうやら一匹でも帰り始めると、みんなついていくみたいなんですね。

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 スタンダード時代のビデオから静止画に落としたものなので、分かりにくいですが、牛さんたちの行進でした。

 

 牛のウンコを「まぐそ」と言ってました。まぐそ(馬糞)だからホントは馬のものなんでしょうけど、本来の意味とは関係なく使ってました。あ、まぐそふんづけた、というかんじです。